はじめに——この記事を書く理由
組織人事のコンサルタントとして、これまで数10社の成長企業の組織づくりに関わってきました。30人、50人、100人。人数の節目で組織がきしみ始め、経営者が「最近、なんかうまく回らない」と感じるタイミングで呼ばれることが多くありました。
正直に言うと、呼ばれるたびに思うことがあります。
「もう少し早く手を打てていたら、この組織による機会損失は半分で済んだのに」と。
さて、組織を拡大して従業員や業務委託するメンバーが増えるにつれて「30人の壁」、「50人の壁」、「100人の壁」が存在します。この言葉自体はかなり広まりました。
ネットで調べたり、AIに聞いたりすれば、解説記事はいくらでも出てきます。ただ、私が読む限り、ほとんどの記事は同じことを書いていて机上の空論、実務に沿ったリアルな解決策が載っていません。例えば、「MVVを言語化しましょう」「コミュニケーションを活性化しましょう」「評価制度を導入しましょう」。間違ってはいない。でも、それだけでは壁は越えられません。
なぜなら、何をやるかより、どの順番でやるかの方がはるかに重要だから。
評価制度を入れたら、かえってエースが辞めた。管理職を置いたのに、何も変わらなかった。こういう相談を何度も受けてきました。やっていること自体は正しい。でも順番が違う。
この記事では、私が現場で使っている「組織の3S」というフレームワークと、壁を越える順番について書きます。「何をやるか」の羅列ではなく、「なぜこの順番でなければいけないのか」を、できるだけ具体的に。
なぜ人数の節目で組織の壁が存在するのか
最初に、よくある誤解を解いておきたい。
「30人の壁」という言い方をすると、30人目を採用した瞬間にドカンと壁が来るように聞こえます。実際はそうではなくて、これは「社長が全員を直接見られる限界」の話です。人間一人が面倒を見られる部下の数には物理的な上限があって(組織論ではスパン・オブ・コントロールと呼びます)、だいたい直接マネジメントは10人が限界。社長は事業もやりながらなので、現実的には6〜7人が精一杯です。
創業期の会社は、この「社長の目」で全部回っています。社長が全員の顔と仕事を把握していて、調子が悪い人には声をかけ、揉め事は直接仲裁し、給料は「まあこんなもんだろう」で決める。評価制度なんかなくても不満が出ないのは、社長がちゃんと「見てくれている」からです。
で、この「見る」が物理的にできなくなるのが25〜35人あたり。ここが30人の壁。
50人になると、管理職を置いたはいいが、その管理職に何を任せていいかわからない。社長が結局全部決めてしまう。これが50人の壁の正体で、本質は「権限委譲」です。
100人を超えると、管理職が複数いて部門も分かれている。Aチームの課長とBチームの課長で評価の甘辛が全然違う。「あっちの部署の方が楽なのに給料同じってどういうこと?」という不公平感が走る。ここで初めて、評価制度や等級制度という「ルール」が本格的に必要になる。
各人数ごとの壁の詳しい話は個別記事(30人の壁、50人の壁、100人の壁)に書いています。この記事では、3つの壁に共通する「構造」と「越える順番」を扱います。
「100人の崖」という不都合な事実
壁を越えられないとどうなるか。ここに一つ、あまり語られていないデータがあります。
厚生労働省の「雇用動向調査」で、企業規模別の離職率を見たことはあるでしょうか。私はこのデータを見たとき、正直驚きました。
離職率が一番高いのは、零細企業でも大企業でもない。100〜299人の会社です。
しかも単年の偶然ではなく、15年分のデータを検証して、この規模が最高だった年は15年中14年。ほぼ一貫しています。
私はこれを「100人の崖」と呼んでいます。理由はこう考えています。
100人までは「社長の目」というインフラで人が定着する。300人を超えた会社は、制度や管理職の層が整っていて、「仕組み」で定着する。問題はその間。社長の目はもう届かない。でも仕組みはまだできていない。どちらの支えもない帯——ここで、人が最も流出する。
このデータが教えてくれるのは、離職は「待遇」や「人間関係」だけの問題ではないということです。組織の設計が人数に追いついていない。その構造的な遅れが、離職率という数字に表れている。
だからこそ、30〜100人のうちに組織を「設計」しておく必要がある。100人の崖に落ちてから慌てるのでは遅いんです。
事例から見る「壁」のリアル
理論の話が続いたので、実際の企業の話をします。
サイバーエージェント——退職率30%からの生還
今でこそ日本を代表するIT企業ですが、サイバーエージェントは急拡大期にかなり痛い目に遭っています。同社で20名時代から人事を見てきた人事責任者が、公の場でこう語っています。
2000年の上場後、大量に中途幹部を採用したところ、既存メンバーとの間に溝が走り、退職率が3年連続で30%を超えた。
3年連続30%。これは組織崩壊と呼んでいいレベルです。
ここで注目すべきは、この危機に対して同社がやったことです。「コミュニケーション施策を増やした」でも「福利厚生を手厚くした」でもない。やったのは組織構造の再設計。事業部制の徹底、若手の抜擢を前提とした組織設計、意思決定を現場に近づける構造改革。
つまり、人が辞める(Staffing)という症状に対して、採用を増やす(Staffingの追加投入)ではなく、構造(Structure)から手を打った。これが結果的に、その後の成長を支える組織の土台になっています。
SmartHR——「失敗して直す」を繰り返す
SmartHRの組織づくりもまた、失敗の連続だったと、同社の人事を外部から支えたコンサルタントが振り返っています。
エンジニア向けの技術手当を導入したが納得感が得られず撤廃。セールスインセンティブは売り込み偏重を招いてすぐ中止。MBO(目標管理)も最初の設計では機能しなかった。
私がこの話で一番大事だと思うのは、失敗したことそのものではなく、「試してダメなら議論してすぐ変える」というスタンスで乗り越えたという部分です。
人事制度って、普通は一度入れたら簡単には変えられない。だから最初から「完成品」を作ろうとして、設計に半年かけ、導入に数ヶ月かけ、気づいたら1年経っている。30〜100人の成長スピードでは、これは致命的に遅い。
SmartHRのケースが示しているのは、制度は「完成品を納品する」のではなく「走りながら直す」ものだということ。ただしこれは、制度(System)を運用する管理職(Structure)がちゃんと機能していて、現場の声を吸い上げて修正できる体制があって初めて成り立つ。ここでもやはり、StructureがSystemの前提になっている。
フロムスクラッチ——壁が来る前にワクチンを打つ
もう一つ、好対照な事例を。マーケティングプラットフォーム「B→Dash」を手がけるフロムスクラッチ(現データX)は、1年間で30人の壁と50人の壁を突破した会社です。同社の組織人事担当者は、これを「問題が顕在化する前にワクチンを打っていた」と表現しています。
30人に達する前に、縁故採用以外の採用チャネルを整備し、採用基準を言語化。50人に差しかかる前にマネジメント層の育成に着手した。
これは要するに、壁が来るのを「予測」して、先に設計しておいたということです。壁にぶつかってから慌てるのではなく、壁の手前で準備を終えている。
この3社の事例から見えるのは、壁を越えた企業に共通するのは「優秀な社員を集めたこと」ではなく、**「正しい順番で、組織の構造を設計したこと」**だ、ということです。
組織の3S——私が現場で使っているフレームワーク
ここからは、私が実際に支援の現場で使っている枠組みの話をします。
組織を構成する要素を、私は3つの面(3S)に分けて考えています。
Structure(構造)。誰が何を決め、誰が誰を見るのか。管理職の役割定義、権限委譲の範囲、レポートライン。組織の「骨格」です。
System(ルール)。何を評価し、どう報い、どう等級づけるのか。評価制度、報酬制度、等級制度。組織を動かす「ルールブック」です。
Staffing(人員)。誰を採り、どこに配置し、どう育て、どう定着させるのか。採用、配置、育成、定着。組織に「血を通わせる」仕事です。
で、ここが一番大事なのですが、この3つには手をつける順番がある。Structure → System → Staffingです。
なぜこの順番なのか
正直に言うと、この順番の話を経営者にすると、最初は半分くらいの人にピンと来てもらえません。「うちは今まさに人が辞めてるんだから、まずそっちを何とかしてほしい」と言われる。気持ちはよくわかります。
でも、ちょっと考えてみてほしいんです。
評価制度(System)は、「この役割の人にはこれを期待する」という前提があって初めて作れる。その「役割」を定義するのはStructure。つまりStructureがなければ、Systemは宙に浮く。
採用や配置(Staffing)は、「この役割にこういう人が必要」という要件があって動かせる。その要件はStructureから導かれ、配置や昇格はSystemの基準で運用される。つまりStructureとSystemがなければ、Staffingは場当たりになる。
これは好みの問題ではなくて、論理的な依存関係です。下流から着手するのは、基礎工事をしないで2階を建てるようなもの。
サイバーエージェントが退職率30%の危機に対して、採用強化(Staffing)ではなく組織構造の再設計(Structure)から着手したのは、この依存関係を(意識的にか直感的にか)理解していたからだと私は見ています。
SmartHRの制度(System)が最初うまくいかなかったのも、同じ構造で説明できる。組織がまだ若く、管理職(Structure)が十分に育っていない段階で制度を入れたから、運用が追いつかなかった。組織が成熟し、管理職が機能するようになってから作り直したら、ようやく制度が機能し始めた。
現場で一番多い失敗パターン
ここまで読んで「理屈はわかったけど、実際に困っているのは人が辞めることなんだ」と思った方、たくさんいると思います。
これが、壁を越えられない会社に最も多い思考パターンです。
「人が辞める」は症状であって、原因ではない。
辞める理由を退職面談で聞くと、「上司と合わない」「評価に納得がいかない」「キャリアが見えない」と返ってくる。だから上司を変え(Staffing)、評価制度を見直し(System)、キャリアパスを整備する(System)。
一つひとつは正しそうに見えます。でも、多くの場合、これは対症療法です。
「上司と合わない」の裏には、上司(管理職)の役割定義が曖昧で、何を期待されているのかも本人にわかっていない、というStructureの問題がある。「評価に納得がいかない」の裏には、そもそも評価する人が「観察と対話」をしていない、つまり管理職が管理職として機能していないStructureの問題がある。
症状はStaffingやSystemに出る。でも原因は、たいていStructureにある。
ここを見誤ると、穴の空いたバケツに水を注ぎ続けることになります。給料を上げても、採用を強化しても、同じ速度で人は流出し続ける。
各フェーズで「最初にやるべき一手」
3Sの全体像を踏まえて、各壁で私が最初に着手する一手を書いておきます。
30人前後にいる会社: 管理職を誰にするか決めて、役割を言語化する。評価制度はまだいらない。1on1を回し始めることの方がはるかに大事。(詳しくは30人の壁の越え方)
50人前後にいる会社: 管理職に意思決定の権限を渡す。「どこまで自分で決めていいのか」を明文化する。社長は「決めない我慢」をする。(詳しくは50人の壁の越え方)
100人前後にいる会社: 等級と評価の「最小構成」を入れる。3〜4段階の等級と、数個の評価項目から。大企業の制度を真似してはいけない。前提が違う。(詳しくは100人の壁の越え方)
すでに壁のなかにいる(人が辞め始めている)会社: 応急処置と根本対処を分ける。退職面談や報酬調整で出血を止めながら、根本は上流(Structure)から順に整える。両方同時にやる必要がある。
最後に——壁は「予測可能」だから「予防可能」
フロムスクラッチの事例が示している通り、壁は構造的に予測できます。30人になれば社長の目が届かなくなる。50人になれば権限委譲が必要になる。100人になれば制度がいる。これは業種や企業文化に関係なく、ほぼ例外なく起きることです。
予測できるということは、予防できるということ。壁にぶつかってから修復するのと、壁が来る前に設計しておくのでは、コストが桁違いに違います。修復には退職に伴う採用コスト、引き継ぎの混乱、チームの士気低下が上乗せされる。設計は、社長と管理職の時間だけで済む。
私がこの記事を書いたのは、「壁に当たってからでは遅い」と痛感する場面をこれ以上見たくないからです。
もし今、自社が30〜100人のどこかにいるなら。そして「最近なんかうまく回らない」と感じ始めているなら。それは壁が近づいているサインです。
StructureからSystemへ、SystemからStaffingへ。順番さえ間違えなければ、壁は越えられます。
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